みずうみ

ひとり言

指先

 

とても久しぶりに、事務的な、丁寧な文章を書こうとしたら全然ペンが進まなかった。

 

4月からのことを考えて、これは感覚が戻るまで苦しいなぁ〜〜とちょっと落ち込んでいたけれど、出勤して、お通し用に作った海老クリームコロッケが完璧に美味しくて救われた。

 

クリームコロッケを仕込み始めて7回目くらいに、鍋に入ったベシャメルソースを混ぜながら、だんだんと感覚が分かってきて、やっと安定して作れるようになったんだった。

胡麻豆腐のときもそうだった。

 

クリームみたいなマッシュポテト、ほろ苦甘いガトーショコラ、ジュエリーみたいなオランジェット、もちもちの海老芋饅頭、身体をぽかぽかにする酒粕汁、とか、とにかくたくさんの季節の食材に触れて、試行錯誤を繰り返したこの一年を誇りに思った。

 

 

 

 

キッチン

 

30年前のきょうは、キッチンが本になった日だと知った。

 

若かったわたしや、友達や、恋人、いまでも会うひと、もう会えなくなってしまったひと、たくさんの大切なひと達との思い出が詰まっている。

 

あの、夜中に熱々のカツ丼をタクシーで届けに行くシーンとか、ムーンライトシャドウの、最後のメッセージとか、まるで本当に見たり聞いたりしたような感じがする。本はずっと生きてる。

 

 

 

覚えておきたいこと

 

旅の終盤で、遊び疲れてピピ島から帰る船の上で微睡んでいた。

海に潜った後の海水でべたついた肌は風に吹かれてすぐに乾いてしまって、手ぐしも通らないくらいに絡まった髪の毛はもうどうでも良くなって、いつの間にかぐうぐう眠っていた。

たぶん、いままで生きてきたなかで、一番しあわせな昼寝だったと思う。

 

 

きょうは小雨と薄霧のなか、だいすきな霧島神宮へお詣りに行った。

傘に跳ねる雨音を聞きながら、太い木の幹や重なり合っている線のような枝葉を見上げた瞬間とか、白い息と交換して吸い込んだ空気の冷たさを、次の雨降りの日にまた思い出したいなぁ、と思っている。

 

 

 


飛行機の小さな窓から、蜘蛛の巣みたいに、プラネタリウムで眺める星座みたいに、ちいさな光がたくさん繋がっているのを見た。


狭い機内で、大人や子どもがぎゅうぎゅう詰めで眠っていて、なんだか不思議な気持ちだ。


読み終えた小説のあとがきに、出会いや別れや愛や憎しみよりも、起きて食事して散歩して眠るような日常の出来事にこそパワーがあって、だからこそ人間は希望を持って生きていける、みたいなことが書いてあった。
誰だって、どんなひとだって日常がある。
超能力者だってお風呂を磨く。

 

熱が出て身体中が痛くても、だんだんと空気やご飯が美味しくなって、親しい人に会いたくなるのを、死ぬまでずっと繰り返していくんだなぁ、みたいなことをぼんやり考えてる。

 

 

 

考えすぎた

 

知恵熱が出るくらい考えて考えて、やっぱり全然共感できなかったし、良いと思えなかったので、やっとすっきりした。

 

残ったのは、わたしが大好きで、大切にしたいひと達からもらった言葉だった。

 

 

 

プール

 

サイパン旅行の小説を読んでいたら、あたたかい土地で、たくさん陽を浴びるのも悪くないかもなぁと思うようになって、プーケット行きが少し楽しみになってきた。

 

 

それから水が恋しくて、それが海水なのか塩素のにおいなのか、よく分からないけどワンピースじゃない水着を一着買ってみようかなぁとぼんやり考えている。

 

 

 

うらら

 

友達に弱音を吐いたり好きなひとの笑顔に会いに行ったりして、自分の真ん中が暗い気持ちで濁ってしまわないように、なるべく澄んだ状態を保てるようにすることがいまのわたしにできることなんだと思う。

 

きょうは春みたいな天気で、あやのさんが美味しいチャイを淹れてくれた。

 

 

一度決めたことは、ちゃんとやり抜こうね、と言い聞かせてる。